2019年11月08日

ジョーカー 2019米 ドット・フィリップス



怖ろしいのは、ジョーカーが主張した「正義は主観」に賛同している人々が、政府や汚職まみれ、自己保身の金持ちたちに対して、「正義は主観」のもとに鉄槌を下すことに陶酔することです。

アーサー(ホアキン・フェニックス)がジョーカーになったのは、アーサーの心の底に深い闇があったことが必要条件で、アーサーがうっかり犯してしまった(彼を小ばかにし、罰を受けることがない暴力を奮った貧困ではない3人の白人を殺害した)罪が、アーサーを自分と重ねる街の底辺の人々の支持を受けたことが十分条件です。

アーサーには虐待された幼少時代があり、これもキーで、精神的に追い込まれると“笑って(笑っていない高笑い)やり過ごす”教育を母親から受けていました。母の自己都合故にです、これもきっかけでした。最愛の母は抱いていた母とは違う像だった。
また信じて疑わなかった二人からの裏切りもきっかけでした。
一人は父だと母から信じ込まされていた父(トーマス・ウェイン)から、ただただハグされたいだけの父からディスカウントされたこと。
もう一人は憧れていた人気キャスター=ロバート・デ・ニーロも俗人であったことを知ったことです。

コメディアンを目指していたアーサーは、笑わせることはできず、逆に世の中に邪見に扱われ笑われる存在にだんだんとなっていきます。
その姿は、社会から疎外されていると感じる想いが強い人ほど共感の対象になり、その人々の鬱憤をジョーカーが晴らすことで、絶大な支持となります。

ここで可笑しなことがわかります。
観客は善良で弱く、母に健気に接するアーサーを知っています。生き方が不器用だから周りの人に疎まれている、けれど、アーサーは良き人だということも知っています。
世の中の不条理で彼がジョーカーに近づいていくのを見ています。
でも街の人々は、アーサーがジョーカーになる過程を知る術がないのに、弱きアーサーがジョーカーになったことを支持していることです。
誰もが心のどこかに持つ“悪意”がそれを発散することが、己の主観とはいえ正義、として描かれていることを街の人が支持しているのは、映画内のゴッサムシティで起こっていることではない、描かれているのではないことを示唆しています。
怖ろしいことです。

しかし10年余りの月日が経つと、ゴッサムシティの人々は、バットマンを待ち焦がれるようになります。それが私の救いとして鑑賞できた映画でした。






追伸
11/8は「立冬」です。二十四節気更新しました。
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立冬


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