2014年09月25日

白蛇抄 1983日 伊藤俊也

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女の情念と、その女に溺れる男達のドロドロの物語で、
人間とは時には、こうまで理性を失ってしまうのかと、
驚嘆するばかりでした。

生まれながらに苦労してきて、やっと慎ましい幸せを掴んだ途端に、
また奈落に落ちてしまった女(うた)は、生まれてすぐに死んだ子もろとも身投げしますが、
たまたま山寺に助けられます。
もう世を捨てたくて、また子を弔うべく、山寺の老住職の世話になります。
しかし、若くて美しく妖艶な魅力があるうたを、回りの男達はほっておきません。

不具の住職は夜な夜なうたを慰みものにします。
それを盗み見しする得度した息子の昌男、
そして身投げしたうたの体を引き上げてから、うたを忘れられない刑事の村井までが、
うたを我が物にしようとします。

男達の奪い合いになるうたも、拒むことができずにドロドロの関係になって行き、
悲劇の連鎖が起こります。

美しいうたが悲劇の原因なのですが、うたは被害者です。
だれか一人でもしっかりとした男に愛されていれば行方は違ったでしょう。

山寺に来る前のうたは、しっかりとした男に愛されたのですが、慎ましい幸せと共に、それを失ってしまったのが悲劇の始まりで、これがうたの運命だったのかもしれません。

しかしあそこまで皆男が狂ってしまうのは何故でしょうか?
寺や警察という閉鎖された世界にいることで、孤立してしまうからなのか、
でもだとしたら、坊主と警官は皆狂っていることになります。

人は合う合わないの相性があります。
この物語の男達はうたに惹かれます。相性が良いのひとつの形でしょう。
昌男と村井は、世を捨てるしか生き様がないうたと、
普通の暮らしをしようとすると破滅しかなかったわけで(老住職はうたと普通の暮らしを求めなかったから非常識だけど歯車はかみ合っていた)、
悲劇は必然だったのです。

破滅に向かううたと相性が合うこと、
それは何故でしょうか?
男達の生育が、自我の形成にうたと合う部分が育ったのでしょう。
それは破滅に向かってもそれに向かう感情を抑えられない部分です。
彼らは抑えきれない、自分をコントロールできないのです。

彼らは自分が自分ではないのです。
その一端は自分を形成しているひとつとして誰にでもある部分です。


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