2025年05月07日
spac演劇ラーマーヤナ物語/演出 宮城聰

この劇は仕掛けが満載です。作り手が観客を楽しませるためにです。びっくりもさせてくれます。
初日はそれを満喫しました。二度目の観劇はそれを踏まえてですから、もっと細かいところに気を回せます。
今回特に歓心したのが、役者の表情です。仕草、動きで表現する、それが一度目よりもじっくり観ることができました。、ハヌマーン(たきいみき)のピエロのような表情や猿たちの機微等です。そういったムーバーだけでなく、スピーカーもです。ラーマの実加里、そのスピーカーの本田麻紀の繋がりがある表情、ラーヴァナの大高浩一と吉植壮一郎の怒りや力強さも同調しているようです。
これは私の場合は二度目の余裕がるから観劇できた収穫です。
やはりspacの新作は二度は観たいですね。
2025年05月06日
spac演劇 ラクリマ、涙 ~オートクチュールの燐めき~/演出 カロリーヌ・ギエラ・グェン

ルワンダでフツ族とツチ族が争うのは欧米(先進国)の利益が作りあげてしまいました。その利益は正義とか国際ルールと呼ばれています。この劇もその構図です。
これに大人になれない自分勝手な大人が我儘いいほだいなのだからより始末が付かなか唸ります。
そのどちらにも共通するのは弱き者を支配する力が働いているところです。
劇はその場を見せながら、離れた空間を大きなモニター三分割して、今では当たり前になっているリモートで結び付けています。ではこれで何が変わったか?
やはり強き者の方が恩恵が大きいと感じます。
劇はまた伝統工芸に光を与えています。その光(燐めき)が輝いているだけ影があることも示唆していいます。
脚本が上手くて、展開にずっと引き付けられます。全く長さを感じない3時間でした。
2025年05月05日
spac演劇 叫び/演出 小島章司

落語の一門会のように、小島章司さんを真打に総勢10名のでのフラメンコです。
身近に観たのは初めてで圧巻でしたし感激でした。
多分観客がもっと熱く声援を送るのが嗜みかなとも感じました。
歌舞伎の「大向こう」のようにです。
貴重な時間を過ごせました。
追伸
5/5は「立夏」です。二十四節気更新しました。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
二十四節気「立夏」の直接ページはこちら
立夏
2025年05月04日
spac演劇 ラーマーヤナ物語/演出 宮城聰

とても大規模な紙芝居でした。そして楽しい。
いつもspacの美術は素晴らしいと歓心するのですが、このラーマーヤナ物語は美術ウスタッフの勝利というのが感想です(もちろんムーバーもスピーカーも演奏も良かったです)。
衣装は今回も凝っています。もうこれが私の中ではラーマーヤナ物語の標準キャラクターです。
紙芝居と言ったのは、ただの平面の舞台を大道具小道具で森、宮殿、海、島、空に変えます。また、怪鳥ジャータユスや小さく変身したハヌマーンを人の足で表現する上手さに脱帽です。
この具現化に至って、演出の宮城さんと役者とスタッフがきっと、あれやこれやとアイデアを出していったその空間に私も立ち会いたかったと思うばかりの観劇でした。
2025年04月30日
spac演劇 マミ・ワタと大きな瓢箪/演出 メルヤン・ニヤカム

一時間の楽しいダンス劇です。
屋外のこの日本平の舞台はいつも夕暮れにかけての上演です。暮れていく空間がダンスに映えます。
マミ・ワタは女神だそうです。
この演劇を観終わってやんちゃな神様が下界に降りてきて人に悪戯しながら気が済むまで遊んで行った、そして人間たちに安らぎをもたらしたと解釈したのですが、女神ということで納得です。
その踊りは、綺麗な女優の映画の一シーンを連想させℳたり、歌舞伎を思わせたりもします。私が気が付かないだkで、世界各地の踊りの要素が入つていたのでしょう。
また、観客を巻き込んでのパフォーマンスが3つあり楽しさを演出します。
瓢箪を配り回収は序の口。「八十八夜」の合唱を促します。ラストは自らがキャンパスとなり観客に体に色付けをします。
そして修行僧になり終わります。
楽しい観劇になりました。
2025年04月29日
spac演劇 <不可能>の限りで/演出 ティアゴ・ロドリゲス

国際赤十字と国境なき医師団の人道支援をしている人達に取材した内容が演劇として再現されています。
それはそれは壮絶な吐露を、4人の役者がします。そしてそこは物資は不足すすなにもないキャンプのようなセットのなかではドラムを叩く一人の演者げいて、その音は爆音のようです。
4人の語り凄惨な出来事ばかりです。聞いていて(字幕を観ていて)想像すらできないことばかりです。言っていることはもちろん理解できますが、それが肌感覚として現実を纏うことができないのです。
でも寒気を覚えるのだから、自分の体は震えています。
どこかで起こっている事実と同じ世界に生きていることを知っていなければなりません。
2025年03月31日
3月大歌舞伎【通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)】

大序 鶴ヶ岡社頭兜改めの場
三段目 足利館門前進物の場
同 松の間刃傷の場
四段目 扇ヶ谷塩冶判官切腹の場
同 表門城明渡しの場
浄瑠璃道行旅路の花聟
開演10分前に「口上人形」で配役の読み上げがり、盛り上がります。大序の幕開けも他の演目とは違っています。やはり忠臣蔵の通しは特別です。
昼の部は、判官が刃傷沙汰を起こし、由良助が仇討を決意するまでで、重厚な場面が多く、それを緩和する段があり、最後は舞踊で締めます。
判官はお家捕りつぶしを覚悟で師直を切りつけるのですが、それを成り立たせる師直像が印象的ですし、そこに持っていくまでの筋もよく出来ています。
夜の部を観劇しているから感じるのですが、前半の昼の部は、後半に備えてぐつぐつ煮込んでいます。
そして見どころは満載です。
師直が顔世への横恋慕がきっかけとなる、そして立場を使って判官を追い込む、また賄賂には弱い、もう人の醜さの塊です。でもそれが人です。
厳粛な切腹や葬儀の場面もあります。
歌舞伎ならではの殺陣もあります。
最後の勘平とおかるの仲睦まじさも人一面です。
面白さ詰まっていました。
2025年03月25日
3月大歌舞伎【通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)】

五段目 山崎街道鉄砲渡しの場
同 二つ玉の場
六段目 与市兵衛内勘平腹切の場
七段目 祇園一力茶屋の場
十一段目 高家表門討入りの場
同 奥庭泉水の場
同 炭部屋本懐の場
引揚げの場
溝口健二の「元禄忠臣蔵」をはじめ歌舞伎以外の演劇でも落語でも忠臣蔵は色々な切り口で多くの方々が鑑賞しています。ですからそれぞれに一家言の一つや二つはあるでしょう。
私もこれまでの忠臣蔵の鑑賞を楽しく、はたまた唸るような気分、また感傷的になったり、江戸時代に想いをはせたりしてきました。
それを踏まえて今回一番感じたのは、舞台を江戸ではなくて室町の鎌倉にし、役名も大星由良之助をはじめ皆変えていることを実感しました。
たかが芝居で、当時の江戸幕府にそこまで警戒することに腑に落ちることがなかったのです。
でもこの大歌舞伎では違いました。
塩谷(赤穂)浪士の忠誠は異常にも思えたのです。純粋です。一途です。それは討ち入りに加わりたい勘平や平右衛門だけでなく、彼らの家族までがです。もちろんこれまでの忠臣蔵でもそうであったのは間違いありません。
けれど娯楽と感動とを融合させた仇討、命を懸ける人たちを奨励をもしたしまうこの舞台は、危険極まりないとまで感じてしまいました。
これでは実名ではできないと思いましたが、同時に、実名ではないにしても明らかです。それを黙認していた江戸幕府を鷹揚であったとも強く感じました。
日本をはじめとしたかつての全体主義の国ではありえないだろうなとも鑑賞しながら考えてしまいました。
歌舞伎の力、底力の凄さが改めて身に染みました。
2025年01月25日
【SPAC演劇】メナム河の日本人 今井朋彦 演出

山田長政の活躍を描く遠藤周作原作の演劇化です。
舞台は王宮と野外で、それを連想させるのが天井から吊るしたカーテンと微かな効果音です。想像させる巧みな舞台で、それを後押しするのが衣裳です。
物語は時代を感じさせる王位継承争いにキリスト教の布教が絡みます。
どちらも普遍的なテーマです。
劇は力強い会話劇で、舞台と衣裳で時間と空間を当時のタイの王国にさせて置いて。役者にその人物が乗り移ったように台詞が乗ります。
山田長政は野望があって成り上っていったけれど、それは一つの結果で、どう生きていくか、きっと常に模索していたのでしょう。
そしてそれは他の人物も同じで、はたま観劇している私の日常も同じです。
人が生きるということの普遍も描いている劇でした。
2025年01月18日
【新国立劇場新春歌舞伎】

通し狂言 彦山権現誓助剣 四幕七場
(ひこさんごんげんちかいのすけだち)
見どころ満載です。
解りやすく順に順に繰り広げられる通し狂言で、筋の中に歌舞伎の歴史も感じます。
長い年月をかけて寝られてきたということをです。
立ち回り、舞台での仕掛け、驚かせる大道具、舞台変化の速さ等々、歌舞伎の真骨頂が多分に盛り込まれています。
仇討話ですが、そこに天下統一の明智光秀や豊臣秀吉のエピソードが入りますが、歌舞伎は娯楽として進化していっていることを痛感します。(現代のギャクも入っていました)
最後の大団円はお正月です。
またまた歌舞伎に嵌りそうです。