2014年09月30日
自家製たい肥も準備できました
今年の9月は、草取りと虫取りに追われないようにできたので、
未来の準備ができましが。
EMボカシ肥料作りと、自家製たい肥に管理です。
自家製たい肥は、小さい山にしながら、しかも稲藁(麦藁)を入れながら、
切り返すことで、かなり良い感じです。
たい肥場に行くと嫌な臭いではなく、
甘い匂いになりました。
2014年09月29日
2014年09月28日
2014年09月27日
EMボカシ肥料作り
有機サツマイモ栽培で、EMボカシ肥料が有効なことがわかってきたので、
手が空いた時にできるだけ作るようにしました。
1年は寝かしたいので、今作っている肥料は、
来年の収穫以降に使用します。
2014年09月26日
喜劇 とんかつ一代 1963日 川島雄三

粗筋なんてどうでもいい。笑いのエピソードを繋いで繋いで出来上がった映画です。
個性的なキャラクターにハチャメチャを演じさせて、さあどうぞ!
と差し出されて感じです。
キャストも豪華かつ、個性的な役をなんなくこなす達者者ばかりです。
森繁久弥、加東大介、、淡島千景、フランキー堺、三木のり平、池内淳子、木暮実千代、水谷良重、団令子、山茶花究、岡田真澄、益田喜頓。
親子親戚関係、また弟子と師匠、ライバル関係と、複雑な人間関係の構成ですがそれを逆手にとり、エピソードが繋がることを、そんなものかなとこちらに思わせます。
理屈なしで楽しむ映画ですが、落語のように、人の業が映し出されますから、何度みても、わかっている笑いだけど、可笑しくなるタイプの映画です。
ドタバタの奥に、人が人を想う優しさと人が持つ愚かさが盛り込まれている、これも川島雄三らしい作品です。
追伸
『ほしいも【安はるキラ】セット』募集開始しました。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
『ほしいも【安はるキラ】セット』の直接ページはこちら
ほしいも【安はるキラ】セット2014
2014年09月25日
白蛇抄 1983日 伊藤俊也

女の情念と、その女に溺れる男達のドロドロの物語で、
人間とは時には、こうまで理性を失ってしまうのかと、
驚嘆するばかりでした。
生まれながらに苦労してきて、やっと慎ましい幸せを掴んだ途端に、
また奈落に落ちてしまった女(うた)は、生まれてすぐに死んだ子もろとも身投げしますが、
たまたま山寺に助けられます。
もう世を捨てたくて、また子を弔うべく、山寺の老住職の世話になります。
しかし、若くて美しく妖艶な魅力があるうたを、回りの男達はほっておきません。
不具の住職は夜な夜なうたを慰みものにします。
それを盗み見しする得度した息子の昌男、
そして身投げしたうたの体を引き上げてから、うたを忘れられない刑事の村井までが、
うたを我が物にしようとします。
男達の奪い合いになるうたも、拒むことができずにドロドロの関係になって行き、
悲劇の連鎖が起こります。
美しいうたが悲劇の原因なのですが、うたは被害者です。
だれか一人でもしっかりとした男に愛されていれば行方は違ったでしょう。
山寺に来る前のうたは、しっかりとした男に愛されたのですが、慎ましい幸せと共に、それを失ってしまったのが悲劇の始まりで、これがうたの運命だったのかもしれません。
しかしあそこまで皆男が狂ってしまうのは何故でしょうか?
寺や警察という閉鎖された世界にいることで、孤立してしまうからなのか、
でもだとしたら、坊主と警官は皆狂っていることになります。
人は合う合わないの相性があります。
この物語の男達はうたに惹かれます。相性が良いのひとつの形でしょう。
昌男と村井は、世を捨てるしか生き様がないうたと、
普通の暮らしをしようとすると破滅しかなかったわけで(老住職はうたと普通の暮らしを求めなかったから非常識だけど歯車はかみ合っていた)、
悲劇は必然だったのです。
破滅に向かううたと相性が合うこと、
それは何故でしょうか?
男達の生育が、自我の形成にうたと合う部分が育ったのでしょう。
それは破滅に向かってもそれに向かう感情を抑えられない部分です。
彼らは抑えきれない、自分をコントロールできないのです。
彼らは自分が自分ではないのです。
その一端は自分を形成しているひとつとして誰にでもある部分です。
2014年09月24日
囁く死美人 1963日 村山三男

個人経営の総合病院が舞台のサスペンス・スリラーです。
主人公は有能な外科医の菅(川崎敬三)で、院長の娘から慕われ、院長からも腕を買われて、娘との縁談が舞い込みます。しかも、次期院長の座とヨーロッパの研修旅行付きというこれ以上ない条件付きです。
この手の話には常套の、菅は美人看護婦と出来ていてしかも妊娠中で、別れ話がこじれて、ついに殺害してしまいます。
ありきたりですが、ここから中々見応えがあります。
用水路で溺死させたはずの美人看護婦の不二子(万里昌代)の遺体が上がってこないことから、菅は不二子が生きていると疑い始めます。
日が経つに連れて菅は不二子の幻覚や幻聴をみるようになり、次第にノイローゼになっていきます。
菅は優秀な外科医ですから、論理的に物事を考えます。すると、なかなか遺体が上がらなかったのは、手術でのギブスや金属のため(不二子は骨折で入院中だった)と、この例をはじめ、不二子は生きているはずがないとなるのですが、あまりにもリアルな幻覚と幻聴なのです。
結局は不二子には双子の姉がいたろいうオチなのですが、ラストになるまで菅と共に私も、不二子は実は生存していて遺体は身代わりだったかもしれないと思えますし、それを引っ張るだけ引っ張っていて、中々面白かったです。
出色は川崎敬三で、論理的で有能、不二子に対しても二枚舌を使い分け、警察に自殺を断定させるほどの男だったのが、疑心暗鬼になって狂っていく様が鬼気迫っていました。演技と演出が良くてこの映画はここが見どころです。
不二子役の万里昌代も幽霊ぽいシーンが似合っていて、スリラー感が高まってきます。
院長がとても出来た人物で、私が菅なら、あの院長になら、殺人する前に一切合切打ち明けるのにと、ずっと思ってみていましたが、若い頃は人を観る目もまだまだだった自分を重ねていました。
気軽な娯楽作品でした。
2014年09月23日
今度は愛妻家 2009日 行定勲

ほぼ一部屋のセットの中で繰り広げられる喪失の恋愛ドラマです。
たまに近所という設定の神社のロケと、クライマックスに向けた仕込みのロケがあるだけです。
一流のカメラマンであるのに、なぜか仕事をしない、できない男(北見)とその妻(さくら)は、どこにでもある夫婦。
どこにでもあるというのは、大抵旦那が無神経ということで、それに加えて北見は浮気性です。
妻に無関心(のように振舞ってしまう)、でも、さくらはそんな夫を気遣うという、私にとっては典型的なパターンです。
そして夫は妻を大事にしないことから、それが後悔へと・・・。
という物語です。
コメディのように進みますが、だんだんシリアスに、そして実は。という縦軸に、
人間関係が入り組んでいてが横軸で、どちらもかなりの意外性を加えてあります。
けれど、テーマはひとつ。
夫は妻を大事に思う気持ちを、ちゃんと妻に伝えましょう、です。
今は主夫という言葉もありますが、とにかく私の場合、妻がいなければ何もできない。
そんな旦那を一年365日面倒見てくれています。しかも何十年も。
こんなこと、世界中の誰もやってくれません。
「お前はそれをわかっていないだろ」という映画で、反省するのではなく、実践を促す映画した。
追伸
9/23は「秋分」です。二十四節気更新しました。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
二十四節気「秋分」の直接ページはこちら
秋分
2014年09月22日
四十九日のレシピ 2013日 タナダユキ

少し入り組んだ家族構成です。
百合子は幸せな結婚生活だったけれど子供ができませんでした。
そして夫は浮気のつもりが、子供ができてしまい、百合子は不倫相手に夫を渡す決心をして帰郷します。
実家には父の良平が一人暮らし、妻の乙美はつい先日亡くなったばかり、そして、百合子にとって乙美は父の再婚相手で、幼い頃から育てられましたが、「お母さん」と呼べない関係でした。
その乙美が遺したものは、彼女を慕う人達で、良平と百合子に尽くしてくれた乙美は二人以外にも多くの愛を捧げていたことを知ります。
二人の下に元気ハツラツな娘のイモが現れます。イモに催促されて、二人は乙美の遺言にある「四十九日の大宴会」を開くことを決心します。
イモは、乙美がボランティアで更生施設で可愛がっていた20歳の娘で、自分が亡くなった後に良平の面倒を見てくれることを頼んでいたのでした。そして乙美は、大宴会の助っ人まで準備してくれていました。日系三世のブラジル人の若い男のハルです。
大宴会を開く目的で集った4人の生活が始まります。4人は、乙美が喜ぶかを考えて、着々と大宴会の準備を進めます。
また傷心の百合子も少しずつケアされていきます。
大宴会の準備をしていると、良平も百合子も乙美と想い出を作っていなかったことが明るみに出てきて落ち込みます。
そんな乙美は幸せだったのか?二人は良き夫と良き娘でなかったことを後悔します。
そこで百合子は、何が何でも乙美の人生の意義を探り、四十九日の法要に添えたいと思うようになります。
そして大宴会の日が来ます。
この映画では、「子供がいない母親の人生は幸せか」というテーマがあります。
不妊のために、百合子は不倫相手に夫を譲るという辛辣なシーンが冒頭からあり、子供がいないと想い出が少ないというフレーズが何度か繰り返されます。
世の中は上手くいきません。思い通りにいかないままに時が過ぎて、どうにもならなくなるという無常さを突きつけます。
単に子供ができないことだけでない、人の手が及ばないのが世の中だということを言います。
それでも抵抗するのが人で、それが乙美の生き方だと言います。
乙美も長年連れ添った無愛想は夫に満足していいた訳ではないでしょう。また、懐かない百合子にも悩んだでしょう。
でもそれでも二人に尽くしました。他の人達にもできるだけのことをしました。
この映画は、人は(次世代の)人の踏み台であれば良いということもテーマにしています。
乙美はまさにその境地だったのでしょう。
二人は乙美が亡くなって彼女がそれで幸せだったことを感じ取ります。
そして、二人とも、“次は自分達が踏み台で良いではないか”と乙美から受け継ぐことを決めます。
人が亡くなること、特に身近な人が、それは遺された者の成長のためだと言えるということを、示した映画でもありました。
2014年09月21日
わが闘争 1968日 中村登

美人女優をたくさん配して、全員が漏れなく飛んでるという中々観れない、思い切って造った映画です。
世の中に対する恨みを持っている堤家というのが全ての前提条件で、
この呪われた血を受け継いだ家族が起こすとんでもない映画です。
主人公は堤玲子(佐久間良子)、
祖父が若い頃一度だけ娼婦を買ったら、梅毒に罹り、隔世遺伝で、玲子の姉(岩本多代)が、
知的障害者になってしまい、そこから呪われていることが露呈したという設定です。
時代は戦前戦後をまたぎ、父親は戦争で足を怪我して戻ります。
「五体満足だったのに、戦争が~、戦争が~」と社会そのものを恨む父なのですが、家族は全員、社会が私達をないがしろにした、というルサンチマンなのです。
極貧なのですが、それも彼らに言わせれば当然社会のせいです。
玲子の妹の時子(三女)(香山美子)は堤家の女は娼婦が似合っていると娼婦になります。私生児がいてこの子は足が悪く、ここで呪われた血を強調しています。
四女の美也(加賀まりこ)の幼い頃からの夢は、自分が性病に罹り、それを世の男に広めるという、恐ろしいことを考えています。流石にそうはなりませんでしたが、キャバレーに勤め、彼女に入れあげた靖(石坂浩二)は会社のお金300万(昭和27年位)を横領してしまうという魔性の女です。
順番はわかりませんが、堤家には男の兄弟仙一(夏八木勲)がいて、感化院にいるところからスタート、途中で家に戻りますが、出てくるシーンはいつも暴れています。
そして主人公玲子は、呪われた血が恐ろしく、男には決して抱かれないと誓っています。
自分が子供の頃、こんな家に生まれたことが嫌で嫌で仕方なく、そんな思いをわが子にはさせたくないから絶対に子供は作らないという考えです。
彼女が一番まともっぽいですが、昭和22年には立派な不良少女に育っています。
物語は昭和27年からがメイン。
玲子は真面目に勤め、また詩を作る文学を愛する女性に成長していました。
ところが、物語はこちらの想像のはるか上をいきます。
処女狩りを得意とする文学青年(川津祐介)が登場、玲子はレイプ同様に処女を奪われます。それを恨みにもった玲子は、ガスで殺害しようとしますが失敗、それでもめげずに、駅のホームで突き落とそうとします。それを渋川良(入川保則)という男に止められます。
玲子と良は親しくなりますが、良は自殺志願者で、それを聞いた玲子は彼と心中することを決めます。
そしてある海辺の旅館に行き決行となったその時、玲子は兼ねてからの夢であった(らしい)“童貞狩り”を死ぬ前にやりたいと言いだし、旅館を出て、夢を成してきます。
そうしたら、良も死ぬ前に玲子を抱きたいと懇願、それを引き受ける玲子。
(これを読んでいると、なんだこりゃ、と思うでしょうけれど、こういう話なのです)
そして、いよいよ睡眠薬で心中を図ります。
ところが、翌日二人ともピンピン、感動した二人は結婚することに、そして幸せな日々が続き、めでたく妊娠、二人は喜びますが、我に返った玲子は呪われた血の子を産むことはできないと、堕胎してしまいます。
そんな時に現れたのが美也、300万円をほとんど使ってしまい、靖を捨てて二人のところに転がり込んできました。
仕方なく3人の生活が始まります。
ある日、良と美也が部屋で二人の時、美也が悪魔の囁きを良にします。「お兄さんの子供は私が産んであげる」それにまんまと乗っかる良ですが、
なんとその場に、玲子を訪ねてきた靖を連れて、家に戻る玲子と靖、当然現場を目撃、逆上した靖は良を刺し殺してしまいます。
良の墓参りを玲子と美也がしていると、玲子が良の子を妊娠していることが発覚、玲子は今度は出産を決意、無地五体満足な男の子が誕生します。
喜びに湧く堤一族ですが、音楽はなにやら不穏なことが起こりそうなのが流れおしまいです。
呪われた血の連鎖が続くのでしょうか。
物語は登場人物がその場その場の欲望をそのまま行動に起こしている様子につなぎ合わせです。
そして俳優は皆エネルギッシュ、特に女性陣が。
だからこの映画は女性が社会を批判し抵抗する様の映画で、ただやたらと極端というのが特徴です。
多分佐久間良子がこういう役を演じたのは先にも後にもこの映画だけでしょう。
そういう観点から観れば希少で貴重な映画です。