2013年06月12日
フラガール 2006日 李相日

人間は、いついてしまうと積極的に抜けられないものです。
喰えなくなるという、足元に火がつくまでは、どっぷりとつかってます。
足元に火がついて、もうだめだろうなと解っていても、
“山(炭鉱)の人間はこういうもんだ”
“三代前からここで一生働くのがあたりまえ”
等という頭の理屈で、ダメを迎えることを正当化しますが、
自分の知らない場所に行くのが怖いだけで、
これ俺もやってるな。という教訓映画でした。
明治時代に国策として石炭の増産のために各地で炭鉱町ができた頃、
フラガールの曽祖父母にあたる人達が炭鉱に集まってきたのでしょう。
炭鉱町の周辺の農家が田んぼよりも儲かることを当て込んでです。
多分その時も今回と同じように、
田んぼをやっていた方が良いというのが多数派で、
一部の人が先行利益を得たと思います。
そして田んぼよりも炭鉱の方が良いと皆が気付き、
こぞって炭鉱町が栄えました。
その賞味期限が切れただけなのに、
田んぼが炭鉱になっただけなのに、
頭と行動を制約させてしまうのが人間です。
だから、あの人はなんであんな必要がないことをやっているのだろう。
ということは大事で、
一見必要がないことは必要がなく終わればそれでよくて、
自分がどっぷりと浸かっているところから半歩くらいは足をだしておきたい所です。
それがなかなか出来ないのですが。