2019年10月31日
2019年10月30日
フリーソロ 2018米 エリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィ ジミー・チン

現在、世界一のフリーソロのクライマー、アレックスの誰も成しえなかった、1000m近い断崖絶壁を完登したシーンをはじめ、彼の人となりのドキュメンタリーです。
冒頭に誰でもすぐに彼のやっていることが解る、怖ろしい登頂映像で、もうそこからして、椅子に座っていられなくなります。
彼は成功したことを知っているのに、見ていられない映像で、この映画を作っていた現場の監督や、カメラマンが、目そらす映像があるのですが、観ていられないでしょう。
ひとつのミスは即=死というのがフリーソロ、彼はこの完登の準備を8年続けていたようです。
スタートからゴールまでの道のりを、体にしみこませて、反射的に体が反応するまで、そして100%成功するに、自分が納得できるようになるまで登りません。当たり前ですが。
でも、登りきる過程で、たった一つ、ほんの少しでも描いた絵と違う行いがあれば、死です。
彼の先達ともいえる、世界レベルのクライマーが実際に何人も亡くなっていることも知らされます。
でもアレックスは、誰も成功できなかった断崖を制覇しました。
ではアレックスと、亡くなったクライマー達は何が違うのか?
アレックスも同じで、最後は落ちて死ぬのか。
それは解りませんが、現段階では、アレックスは誰よりも準備に入念だったし、それまで登らない男なのでしょう。
繰り返しますが、成功したとわかっていても、観ていられない映像は、決して登っているアレックスの邪魔(命取り)をしないように配慮して尚且つ、臨場を伝えてくれました。作り手の熱意も感じます。
2019年10月29日
【spac演劇】寿歌 演出:宮城聰

世界の最期に人々はどうするかを描いた映画で出色と感じているのは、スタンリー・クレイマー監督「渚にて」と、ラース・フォン・トリアー監督「メランコリア」です。
最期の覚悟が描かれます。
この「寿歌」も同じシチュエーションですが、味付けは非常に異なります。(「渚にて」と「メランコリア」もテイストは異なりますが)
旅芸人のゲサクとキョウコが瓦礫の中で彷徨っているのですが、本人達は「ちょっとそこまで」行こうとしています。その途中途中では芸を披露します。誰もいないのにです。
もう一人、突然ヤスオが登場します。二人が産み出した希望のような存在です。
二人はとても明るいというか軽いのですが、その二人が生み出したヤスオも二人と同調します。だから
今度は三人で、くだらない漫才、でたらめな歌と踊りをたどり着いた街で、人がいなくても披露します。
何故二人は絶望していないのか?この劇を観ると考えます。
「渚にて」も「メランコリア」も絶望後の人を描いていますが、今回「寿歌」のゲサクとキョウコも絶望後の姿なんだと解りました。
覚悟を決めた人々の姿を描くのはその作品も同じです。
「渚にて」は崇高な人を描き、「メランコリア」は覚悟とはと、最期を突きつけられた人の心情を逆転を描いていました。
そしてこの「寿歌」は、世界の最期であっても日常を貫くことの強さと、でも結局はしれしかできない人間の小ささが描かれていました。
40年前にできたこの「寿歌」は今でこそ世の中がこの戯曲に付いてきたと、昨年の観劇で感じましたが、それに加えて下記のことも機が付きました。
人類は世界の最期とは言わないまでも、どうしようもならない事をこれまでもたくさん経験していて、その境地を描いているのが、「寿歌」であり「渚にて」「メランコリア」です。
そしてこの「寿歌」は底抜けに明るい人類の最期で、人はこういう生き方ができるのだと勇気づけられます。
2019年10月28日
2019年10月27日
2019年10月26日
2019年10月25日
2019年10月24日
太ければ最高

形も良いし、肌も綺麗で、一株に成った数も良いサツマイモが出来ましたが、
細いことが玉に瑕です。そうでなければ最高の原料芋です。
追伸
10/24は「霜降」です。二十四節気更新しました。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
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霜降